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『転生したのに、また叶わぬ恋に落ちました』SS②~魔法の口づけ~

 アレクシスが王太子の家庭教師として勤め始めて半年程度――住まいを王宮内の西宮に移した頃だった。


 十九歳の若造が、王太子の家庭教師についたことが気に入らない古参の教師陣は、アレクシスを見るだけで嫌味を言い、王宮に勤める官吏や兵は、見てくれが整い過ぎていた彼を、どこかの貴婦人をたらしこんで職を得たに違いないと、あらぬ噂を立てた。そこら中から懐疑的にみられ、アレクシスは針のむしろ。


 しかし彼は、自分を揶揄するすべての声を無視していた。正直、周囲の声を気にかけるほどの余裕はなかったのである。


 住まいを王宮へ移した彼は、教鞭をとるだけでなく、王家の子供たちの世話役も兼ねて勤めるよう命じられていた。


 十歳と八歳の幼子の世話など、まともな子守の経験もなかったアレクシスには難題で、目が回るような日々を送っていたのだ。


 飽きっぽい王太子は、授業の途中で別の科目の勉強がしたい、と言い出すし、負けん気が強い王女は、王太子が受けている別の教師の授業も自分にしろと言う。


 その上、アレクシスの住まいに宛がわれた部屋は、西宮の二階。

 

 恐れ多くも、王太子と王女が住まう建物内だ。


 部屋割りは、廊下一本で行き来でき、南側に王太子と王女の部屋が、北端にアレクシスの部屋があった。


 授業が終わって部屋に戻っても、当然ながら幼い王子と王女は突然部屋を訪れ、やれ遊ぼうだの、何々を作ってとお願いをしてくる。


 だからアレクシスは、もはや二十四時間彼らの面倒を見る羽目になっており、誰の声も聞こえないほど、王太子と王女に振り回されていた。


 もっとも、慣れていないがために、彼らの世話には骨が折れたが、かといってアレクシスは、王太子と王女を邪魔臭く思っていたわけでもない。


 彼らは子供らしいわがままを言うけれども、一方で、未来を十分に期待できる、聡明さを兼ね備えていたのだ。


 だから突然部屋を訪れられても、多少は疲労を感じるものの、邪険にしようとまでは思えなかった。


 その日も、執務机で作業をしていたアレクシスは、ノックもなくがちゃりと私室の扉を開けられ、平静に顔をあげた。


 扉を開けたのは、予想通り二人の子供の内の一人――王女のルナだった。


 そして彼女の顔を見るなり、アレクシスはぎょっと立ち上がる。


「いかがされたのです、ルナ姫」


 艶やかな黒髪に菫色の大きな瞳を持つ、人形じみた顔つきの彼女は、その瞳からぽろぽろと涙をこぼしていたのだ。


 ルナは扉口に立ち尽くし、嗚咽交じりに言った。


「お父様がね……妖精はいないとおっしゃるの……っ」


「……はい?」


 唐突な訴えに、アレクシスは思わず、まともに聞き返してしまっていた。


 ルナは眉尻を下げ、項垂れる。


「さっきね……っ、お父様にお会いしたときにね……妖精のご本のお話をお伺いしたの。ルナも妖精のお国に行ってみたいって……」


 ――ああ、本の話か。


 アレクシスは、ルナが気に入っていた童話を思い出した。彼女は最近、妖精が出てくる話を気に入り、似たような話を読み漁っていたのだ。


 幼い姫が、妖精に会ってみたいと思っているとは気づいていたが――要するに、妖精に会いたいと訴えられた国王は、生真面目に、そんなものはいない、と応じたのであろう。


 ――あの方は根がまじめだから。


 国王の性質をなんとなく察していたアレクシスは、苦く笑ってルナに歩み寄った。現実を突きつけられた子供は、嗚咽を零して夢想の世界をねだる。


「ねえ、アレク……妖精はいるわよね? だってあんなに、たくさんご本に載っているのだもの」


 アレクシスはルナの質問には答えず、彼女をひょい、と抱き上げた。腕を訛らせないよう、毎日剣の訓練をしていたアレクシスは、一見では分からないながら、鍛え上げた肉体を持っている。彼にとって十歳の子供は、羽のように軽かった。


 アレクシスは片腕でルナを抱え、空いている手で涙を拭ってやる。


 間近で顔を覗き込まれたルナは、涙をこぼすものの、頬を少し染めた。


 彼女の瞳が、自分の紺碧の瞳をじいっと見つめる。彼女は白銀の髪の隙間から見える、アレクシスの瞳を見るのが好きなようだった。


「……アレクの目は、妖精みたいにきれいな色をしてる」


「そうですか」


 アレクシスは眉尻を落とし、微笑む。ルナはアレクシスの頬にぺたっと手のひらを置いて、ちょっと頬を緩ませた。


「本当よ。だってね、ご本に書いていたの。妖精の瞳は青く澄んでいて、宝玉のように美しいって」


「では、私には妖精の血が流れているのかもしれませんね」


 国王なら、ここで絶対に否定する。そんなわけはない――と、冷静に。


 ルナは話を合わせてくれたアレクシスに瞳を輝かせ、しかしはっと息を呑んだ。


「う、ううん……っ。アレクは、妖精じゃないわ……!」


「どうしてですか?」


 ルナは青ざめ、震える手のひらで口元を押さえた。


「だ、だって……妖精は、必ず妖精の国に帰ってしまうのだもの……。人間の国では、長く生きていけないのよ……」


 どれかの本で読んだ設定を、詳細に覚えているらしい。


 アレクシスは、ふっと柔らかく笑った。


「そうですか。では、私は妖精ではありませんね」


 ――アレクシスに、戻る国はない。


 妖精説を否定したのに、ルナは不安そうにアレクシスを見つめる。ぱちぱちと瞬きを繰り返し始めたので、アレクシスは内心、呻いた。


 話に乗って、涙をとめるのに成功したと思ったのだが、失敗だったようだ。


 菫色の瞳に透明な涙の膜が浮かび上がり、ほどなくして、またほとほとと涙がこぼれ始める。アレクシスは扉口で慰めるのを諦め、彼女を抱えたまま、自分の部屋へ戻った。


 扉の左手にあるソファに向かい、そこに腰掛ける。ルナを膝に抱いて、アレクシスは優しく笑いかけた。


「どうして泣くのです。どうか泣かないでください、ルナ姫。瞳が溶けてしまいますよ」


「……っだって、だって……っ」


 ルナは瞼を閉じて、涙交じりに不安を口にする。


「アレクが妖精だったら、いなくなっちゃうのだもの……っ」


 ――泣く原因が、父親から自分に移ってしまった。


 アレクシスはうまくかわせなかった自分を嘆きつつ、ルナの涙を指の背で拭う。力は込めなかったが、柔らかな彼女の肌が、少し赤く腫れたようだ。


 アレクシスは眉尻を下げ、穏やかに言った。


「……ルナ姫。私は妖精ではありません。貴女とクリス殿下の家庭教師兼、お世話係です。どうか、そう泣かないでください」


「う……っ……」


 しかしルナは、泣きやまない。


 彼女は、泣き虫な姫だった。


 公の場では、王族としての役目を果たそうと、幼いながら、凛とした姿を見せる。子供だからと甘えた態度を取らず、長時間に及ぶ儀式もしっかりこなす。公務で忙しい両親とは、親子らしい時間が取れず、本当のところ寂しいのだろう。甘えられない反動のように、彼女はアレクシスや祖父の前だけでは、子供らしい態度をとるのだった。


 理解しているとはいえ、アレクシスはルナの涙をただ眺めるのは性分に合わず、何とかしてとめようと、いつも苦心する。


 膝に抱けば泣きやむと、彼女の祖父に教えられて以降、そうするようになった。普段は、抱き上げるだけでも泣きやんでくれるのだが、今日はどうにもうまく行かない。


 アレクシスは困り果て、どうしたら泣きやむのだろう、と懸命に考えた。そしてふと、過去に見た光景が、脳裏を過った。


 母が妹を宥めるとき、頬に口づけていた気がする――。


 アレクシスは思いついたまま、躊躇なく王女に顔を寄せる。相手は王女だとか、それはやり過ぎだろう――とは思い至らなかった。


 この時のアレクシスは、ルナが永遠に泣きやまないのではないだろうか、と戦々恐々としていたし、彼なりの優しさで、彼女をお慰めしたいと真摯に考えていたのだ。


「ルナ姫……」


 アレクシスの白銀の髪が、さらりと揺れた。俯いて、えっくと喉を鳴らしていたルナは、名を呼ばれて顔をあげる。そして、きょとんとした。


 彼女は目を丸くし、そのままじっとアレクシスの瞳を見返す。


 アレクシスは瞼を伏せ、薄く開いた唇を彼女に近づけた。長いまつ毛を伏せた彼の表情は、自分でもそれとは気づかなかったが、ただならぬ色香に溢れていた。


 ルナの頬がぼっと真っ赤になる。泣きじゃくっている時点で頬が赤かったので、アレクシスはその差を大して気にせず、あっさり彼女に口づけを贈った。


 彼女の肌を痛めぬよう、殊更柔らかく目尻に唇を押しつけて、顔を離す。見下ろしたルナは、小さな口をパクパクさせて、自分を見つめていた。


 アレクシスの目は、彼女の瞳を観察する。


 菫色の瞳は大きく丸くなっているものの、涙がまた溢れかえる気配はない。


 ――成功だ。


 アレクシスは安堵した。だから微笑んだ。


 ちょうど窓から光が差し込み、ルナの髪を照らし出す。


 彼女の髪に、天使の輪が生まれ、アレクシスは何気なく気障な言葉を吐いた。


「どうぞ泣かないでください、ルナ姫。妖精というものは、きっと見えにくいのでしょう。こうして陽の光を浴びた貴女が、ほんの瞬きの間、天使となって私の目の前に降りていらっしゃったように」


「……てん、し」


 ルナは言葉を繰り返し、アレクシスの顔に魅入る。窓から差し込んだ光が自分をも照らし出し、白銀の髪が眩くきらめいていたとは、気づかなかった。紺碧の瞳を愛情に染め、優しく笑った自分の顔が、壮絶に美しかったことも、彼は知らない。


 彼の顔にしばし目を奪われた王女は、我に返り、真っ赤な顔を伏せた。自分の腹におかれていた、アレクシスの大きな手を握り、にぎにぎと親指をいじる。


「そうね。妖精はなかなか見えないから、お父様もああおっしゃられたのかもしれないわ……」


「ええ、そうでしょうとも」


 アレクシスは頷き返し、彼女の額に口づけた。


 また口づけられたルナは、ぴくっと肩を揺らし、顔を上げる。優しく笑っているアレクシスを認識すると、彼女は照れくさそうに、はにかんで笑った。


 頬を染めたその笑顔は、これ以上ないほど愛らしく、愛おしさが胸に広がった。


 ルナが泣いたら口づければいいと、アレクシスに刷り込まれた瞬間であった――。

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